うすき竹宵 とは

臼杵の誇りである「臼杵石仏」は真名長者と呼ばれる人物によって造られたと伝えられています。

真名長者は名を小五郎といい、その妻は玉津姫と言いました。

また、二人のあいだに生まれた娘は般若姫と言いその美しさと気品は世間の評判となっていました。

般若姫の噂を聞いた時の朝廷は、姫を妃として都へ差し出すように使者を遣わしますが、長者は一人娘という理由でこれを拒み、代わりに姫の姿を書き写した「玉絵箱」を献上しました。

ところが、献上された玉絵箱を見て恋に落ちた若者がおりました。それは、後の用明天皇、当時は橘の豊日の皇子でした。

皇子は姫に逢うため草深い臼杵に下り、牛飼いに身をやつして長者のもとに身を寄せ、やがて姫と結ばれました。

二人は幸せな時を過ごしますが、朝廷に呼び戻され懐妊していた姫を残して都へと帰っていきました。

しばらくして姫は玉絵姫というかわいい女の子を出産します。

そして、般若姫は生まれたばかりの玉絵姫を残し、皇子の待つ都を目指して臼杵の港から船出します。

ところが、途中嵐に遭い、般若姫は帰らぬ人となってしまいます。

悲しんだ長者夫婦は、姫の供養のため玉絵箱の里帰りを願い出て、朝廷もこれを許されました。

亡き般若姫の姿を描いた「玉絵箱」は長者夫妻にとっては娘、玉絵姫にとっては母そのものだったのでした。

暮れ早い秋の陽はとっぷりと暮れ、里人たちは竹に明かりを灯して暗くなった夜道を明るくしました。

その中を都からの勅使や玉絵箱を捧げ持った長者たちが館を目指して歩いてゆきます。

うすき竹宵は、長者夫妻と玉絵姫が待つ臼杵へ都から「玉絵箱」とともに帰ってきた般若姫の御霊の里帰りしたという伝説を再現したものです。

ほのかな竹ぼんぼりのあかりが灯るなか、小五郎、玉津姫、玉絵姫、そして大勢の里人たちが待ち受ける中、臼杵の港に都から「玉絵箱」と般若姫の御霊を載せた船が到着いたします……